予定調和 [ブログ]

 

 

最近、「予定調和」という言葉が私の頭にこびりついている。 「予定調和」とは、宇宙は互いに独立したモナド(不可分の単純実体で、非物質的本性を有し、表象と欲求とからなる)からなり、宇宙が統一的な秩序状態にあるのは、神によってモナド間に調和関係が生じるようにあらかじめ定められているからであるという学説である。 簡単に云えば、「決められた筋書きにより、結論は決まっている」事と意訳できる。 つまりは、人間の人生など、既に「予定調和」により、その経過と結末が決まっており、仮に運命を切り開いた、人生の奈落に落ちたとしても、それは予め決まっている事なのだという説である。 私は、この36年間の人生で、自分の尺度で考えるものの、幾度となく修羅場を経験し、栄光と挫折を経験し、平凡ながらも安寧な現在に至っている。今の自分があるのは、時には常軌を逸し、そして軌道修正してきた過去の様々な経験による積み重ねの結果であると思っている。 時として、その転換期が、人智を超えた何かによって誘われた事もあったようにも思えるが、全ては自分の意志によって選択してきた。 もし、「予定調和」が存在するのであれば、私の不真面目で堕落したあの時も、自らの努力で勝ちえたあの時も、成り行きで過ぎたあの時も、全ては私が生まれてきた時より運命づけられてきた「過程」で、当然の帰結である事になる。 だからこそ、私は、この「予定調和」という、人間に夢も希望も与えない不条理に対して否定をしたいのだ。 「運命」を変えるのは、決して決められたレール上の話ではなく、時として「運命」という名の列車から飛び降りる事で、「想定外」の、神の意志を凌駕する「人間」の力強い意志により、成立するのだと思う。 だって、つまらないじゃないか?予め決められた僕の一生なんて・・・。 何かをして、その結果が、自分の努力や苦労によるものではなく、それが「運命」だったなんて・・・。 だから、私は、常に「予定調和」に逆らうような人生を歩んできている。人間の一生を眼に見えない「神様」「運命」に翻弄されてたまるものか、と。 ------------------------------------------------------- 転職活動で、人材紹介会社のアデコより、とある仕事を紹介されました。 福岡に本社があり、従業員40名程度で設立10年目の小さい会社ですが、東京への進出を計画しており、立ちあげのスタッフを募集していると。 求める人材は、『自ら企画し、戦略を立て、行動できる』営業企画経験者で、無形物の企画・提案経験者、新規事業開発経験者を優遇としています。 まだ東京に事務所も無く、そこから2~3年後には福岡本社と同数の社員規模にまて拡大するという事で、通常の求人サイトでは募集はかけられず、人材紹介会社に依頼したという事らしく、多くの登録者の中からアデコは私を推薦してくれるそうです。 正直、悩みましたが、今の環境で天井こそ見えて、底の見えない仕事をしているより、ゼロから生み出す苦しみと、それを達成した時の喜びを感じられる仕事なら、迷わず後者を選びたいと思います。 (もっとも、アデコより「推薦」してくれるだけで、相手先のお眼鏡に叶うかどうかはわかりませんが。。。) ベンチャーなので、倒産リスクも高いですけど、ダメなら別の選択肢を見つければいい、そんな思いもあり、面接を受ける事にしました。 運命は、己の強い意志でどのようにも切り開いていく事が出来る、僕はそう信じて生きてきました。だから『予定調和』などという諦観に屈せず、自分の人生は誰が決めたものではなく、自分の意志、即ち自己責任で進んでいくべきだと僕は考えます。 運勢暦では、一歩後退して積極的なアクションを起こすべきではない、などとありましたが、今年、年男の今年こそ、次の人生に向けてのアクションを起こす最後のチャンスだと考え、「運命」があるなら、そいつに贖ってでも進んでいこいと思います。


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